長尾和明

BAR TIMES STORE EDITION 001 ラモスジンフィズグラス
長尾和明

第一章 苦節6年、ついに日本の頂点へ

2026年7月9日、バーテンダーなら誰もがその名を知る一大カクテルコンペティション「DIAGEO WORLD CLASS(ディアジオ ワールドクラス)」の日本代表を決める決勝大会が、東京・六本木ヒルズアリーナで行われた。

「DIAGEO WORLD CLASS」は、2009年にロンドンで始まり、現在は51カ国以上の国と地域で予選を勝ち抜いてきたバーテンダーがしのぎを削る世界規模の大会だ。しかも、ただの大会ではない。バーテンダーの持つ技術、創造性、表現力、対応力、ホスピタリティまでをも競い合う、数多あるコンペティションの中でもトップクラスの難易度を誇る。

秋に行われる世界大会への切符を懸け、日本代表を決める六本木ヒルズアリーナの壇上には、今まさに、戦いを終えた10名のバーテンダーが並んだ。長尾和明の姿もある。

彼はもう何度この景色を見ただろうか。ファイナルステージに立ったのは実に5度目だ。

香川県出身。23歳でバーテンダーの道へ進み、現在は東京・池袋「Bar LIBRE」のマネージャーを務める。国内外のバーで経験を重ねながら、「DIAGEO WORLD CLASS」への挑戦を続けてきた。

シンと静まり返る会場。手を合わせ、応援するバーテンダーの優勝を祈る観客。時が止まったかのような緊張感の中、チャンピオンの名が告げられた。「ナガオ カズアキ」。瞬間、長尾は大きく息を吐いた。ついに総合優勝を果たし、日本代表として世界大会への切符を手にしたのだ。身体が震えた。頭が真っ白になった。チャンピオンとしてステージ中央のマイクに立ったものの、用意していた言葉はほとんど出てこなかった。

「目の前のお客さんが、めちゃくちゃ泣いてて。それを見たら僕もぐっときてしまって。本当にありがとうございます、って言うのが精一杯でした」

会場には、長尾の挑戦を見続けてきた仲間たちがいた。書類審査から数えて6年。何度も日本一を期待され、そのたびに届かなかった。応援してくれる人が増えるほど、勝てないことへの申し訳なさも年々大きくなっていった。

「自分自身がつらいというより、毎年スタッフのみんなが応援してくれているのに、期待に応えられないのが苦しかったです。今年も勝てなかった。ごめんなさいって」

だからこそ、壇上で名前を呼ばれた瞬間、最も強く込み上げたのは勝った喜びだけではなかった。

「うれしいというより、やっと恩返しができたという気持ちでした。これでようやくキヨさんに念願のトロフィーを渡すことができた、そんな思いです」

「キヨさん」とは、長尾が現在マネージャーを務める池袋「Bar LIBRE」のオーナーバーテンダー、清崎雄二郎氏のこと。長尾は親しみと敬意を込めて「キヨさん」と呼ぶ。ステージを降りると清崎氏が大きく手を広げて待っていた。抱きしめられた瞬間、それまでこらえていた感情が一気に溢れ出た。

「ようやくトロフィーを渡すことができた」という言葉には、清崎氏への思いだけでなく、挑戦を支えてくれた家族やスタッフ、仲間たちへの気持ちも込められていた。実は、この大会のわずか10日前、6月29日に長尾には第一子が誕生していた。大会へ向けた最後の準備と父親としての生活が同時に始まったのだ。

第二章 勝てなかった理由

「最初の頃は、単に美味しいカクテルをつくればいいんだろうな、ぐらいに思っていたんです」

長尾は初めて「DIAGEO WORLD CLASS」に挑戦した頃の自分を、そう振り返る。

与えられたテーマから自由に発想し、驚きのあるカクテルをつくる。それが美味しければ、きっと評価される。挑戦を始めた頃はそう考えていたという。しかし、3年、4年と回を重ねるごとにそれだけでは勝てないことが分かってきた。美味しいカクテルをつくることは、バーテンダーとして大前提にすぎない。では、どうすればいいのか、何をすれば勝てるのか。優勝した今だからこそ、長尾はその時の自分を冷静に分析する。

「振り返ると、毎年どこかで逃げていたんです。このチャレンジは少し弱くても仕方がないとか、ここまではできたからいいだろうとか。ひとつでも妥協点があれば、その年は絶対に勝てない。当たり前のことなんですけど甘えがありました」

「DIAGEO WORLD CLASS」では、毎年4~6つのチャレンジ(競技課題)が設けられる。しかもその課題は年ごとに変わる。ある年は、4分間で異なる5種類のカクテルを同時につくる「スピードチャレンジ」。またある年は、手作り材料を使用してベーススピリッツとの相性を考え、2種類のカクテルを提供する「スーパー ミキサー チャレンジ」などがあった。もちろん、どのチャレンジも単につくればいいわけではない。なぜ、この材料を選んだのか、与えられたテーマをどう解釈し、何を表現しようとしたのか、それをカクテルの味わいだけでなく、限られた時間の中で、言葉と所作を通して審査員に伝えなければならない。

「例えば、今回『ティキ モルト チャレンジ』というものがあったんですが、『ティキ』を僕はこう再定義しました、この点に複雑さがあります、ときちんと言葉にしないと点が入らない。ただ美味しいだけではなく、どうプレゼンテーションするか。その部分を徹底的に研究するようになりました」

審査員の手元には、採点基準が細かく記されたルールブックがある。味わいもさることながら、テーマの解釈、コンセプトの完成度、創造性、複雑さ、ブランドへの理解、そして、それらをどのような言葉で伝えたか。その一つひとつが点数につながる。

一般的なカクテルコンペティションでは、ひとつのレシピを1カ月、あるいは2カ月かけて磨き上げることもできる。しかし「DIAGEO WORLD CLASS」では、短期間に十数種類ものカクテルを考え、それぞれのコンセプトとプレゼンテーションを組み立てなければならない。これこそがこの大会の難しさであり、苦しさであり、挑み続ける意味なのだ。長尾は、この大会を「トライアスロンのようなもの」と表現する。

「圧倒的に難易度が高い大会だと思います。だからこそ、世界中のどの国のバーテンダーにも、僕はワールドクラスで優勝したんだ、って言えばその凄さや価値が伝わる。それだけ多くのバーテンダーが目指している大会だからこそ、勝つことに意味があるんです」

第三章 出るからには勝つ

聞けば、長尾は今年、出場するつもりはなかったのだという。店のスタッフにも「今年はみんなを応援する側にまわる」と伝えていた。

ここ数年、海外での仕事やゲストシフトも増えていた。「Bar LIBRE」が運営するバーテンダー育成スクール「Bar Industry Academy(バー インダストリー アカデミー)」の講師活動もある。通常の営業もあり、スタッフをまとめる立場でもある。仕事と家庭、自身を取り巻く環境が大きく変化するなか、一度立ち止まり1年か2年、少し間を置いてから再挑戦しようと考えていた。

しかし、思いがけない出来事によって出場を決めた。エントリーを予定していたスタッフから辞退したい、と連絡が入ったのだ。午前3時だった。翌日には応募に必要な写真撮影がある。カメラマンのスケジュールを4時間押さえていた。カメラマンの時間を無駄にするわけにはいかない。提出期限まであと2日。

よし、俺が出る。急遽出場を決断した瞬間だった。

出るからには勝つ。締め切り直前の決断は、6年間の取り組み方を根本から見直す覚悟へと変わっていった。

「本当は、どこかで出たかったんだと思います。でも、妻にも、スタッフにも、今年は出ないと言っていたのにそれを覆すわけですから、もう勝つしかないと思いました」

しかし、身重の妻に伝えることにはためらいがあった。健診には必ずふたりで行くと約束していた。出産を控えた妻との時間を大切にしたい。その気持ちに嘘はなかった。それでも、練習時間が減ることへの焦り。その間で気持ちが揺れ、余裕を失い、互いにぶつかることも増えた。

「人間が小さいなって思います、今は(笑)。妻に迷惑をかけている分、余計に勝つことに対する強い執念が生まれたと思います」

そして、7月8日。「DIAGEO WORLD CLASS 2026 Japan Final」を前に、クローズド形式の競技が始まった。ジャパンファイナルで用意されたチャレンジは全部で4つだ。

・TIKI MALT CHALLENGE

・WORLD CLASS SKILLS CHALLENGE

・SHAKE UP THE WORLD CHALLENGE

・ON TOP OF THE WORLD CHALLENGE

このうち前半の2つのチャレンジは7月8日に審査員と関係者だけが立ち会うクローズドで実施。翌日7月9日、多くのオーディエンスが見守る六本木ヒルズアリーナで残りの2つのチャレンジが行われた。それぞれ異なる力が問われる4つの舞台に、長尾は6年間積み重ねてきたすべてをぶつけた。

チャレンジ① TIKI MALT CHALLENGE

最初の「TIKI MALT CHALLENGE」で問われたのは、与えられたテーマをどう解釈し、自分なりの一杯へ落とし込むかという力だった。課題は、ウイスキーとティキ文化を掛け合わせた2種類のカクテルをつくること。ティキとは、南国の果物やスパイスを用いた味わいと、華やかな器や演出による高揚感を特徴とするカクテル文化だ。

ルールが示されたのは本番のおよそ1カ月前。ティキの多くはラムベースが一般的だが、使用するスピリッツは「タリスカー 10年」と「ザ シングルトン ダフタウン 12年」。どちらもスコッチのシングルモルトウイスキーだ。それぞれのウイスキーをベースに2種類のティキを仕上げることが課題だった。

自分にとってティキとは何か。長尾は、ベースとなる酒の個性、スパイスやハーブによる複雑さ、そして見た目や演出から生まれるワクワク感だと捉えた。その定義を明確な言葉にし、カクテルの味わいや演出とともに審査員へ伝えた。

「大会に挑戦し始めの頃だったら、ティキってこんな感じかなってイメージだけでつくっていたと思います。でも今回は、自分がティキをどう捉え、どう再定義したのかまできちんと言葉にしました」

では、長尾はどんなティキカクテルを披露したのか。

「タリスカー 10年」は、潮の香りと黒コショウのような強い刺激、スモーキーな風味が特徴だ。そこに合わせたのは、長尾の故郷である香川県の「さぬきマンゴー」だった。

スモーキーで力強い味わいを持つタリスカーに対し、長尾は皮ごと真っ黒になるまで焼いたマンゴーをその場で切り分けるパフォーマンスを見せた。

「マンゴーを丸ごと焼くことで、より甘さを引き出し、トロピカル感を出す。そして飲む人にマンゴーを焼いたらどうなるんだろう、というワクワク感と驚きを与えたかったんです」

「ザ シングルトン ダフタウン 12年」には、その優しくフルーティーな個性を生かし、東京のお土産ブランド「東京ばな奈」をイメージしたカクテルを合わせた。バナナリキュールと「ザ シングルトン ダフタウン 12年」を使ったフォームをカクテルの表面に浮かべ、チョコレートをまとわせたカシューナッツを添えた。

「東京ばな奈の形に似たカシューナッツで、シングルトンが持つナッティなニュアンスにも合わせました」

制限時間は4分。決して余裕のあるプレゼンテーションではなかったという。それでも、結果的にこのチャレンジでひとつ目の部門優勝を手にした。

チャレンジ② WORLD CLASS SKILLS CHALLENGE

続く「WORLD CLASS SKILLS CHALLENGE」で問われたのは、クラシックカクテルを正確につくる技術と、課題に対するその場での対応力だ。事前に示されたのは、5種類のクラシックカクテル。その中から当日指定された2種類を限られた時間内で仕上げなければならない。

長尾に与えられたのは、ホワイトレディとオールドファッションドだった。実は、オールドファッションドだけは当たってほしくなかったという。理由は、5種類の中で材料も工程ももっとも多かったからだ。

ベースに使用する「ブレット バーボン」は、ラベルがギザギザに縁取られているのが特徴のひとつ。長尾は、その形に合わせてオレンジピールを切り、カクテルに添えることを考えていた。しかし、準備が間に合わず、用意していた演出を最後まで完成させることができなかった。唯一の準備不足だったと悔しさを滲ませた。

プレゼンテーションでは、ボトルに記された「FRONTIER WHISKEY」という言葉に着目。その「フロンティア=開拓者」という意味を、審査員を務めた上野秀嗣氏の存在に重ねた。その場で生まれた着想をプレゼンテーションに組み込んだのだ。

上野氏は、東京・銀座にある「BAR HIGH FIVE」のオーナーバーテンダー。クラシックカクテルと日本の緻密なバーテンディングを世界へ伝えてきた、日本を代表するバーテンダーの一人である。長年にわたり「DIAGEO WORLD CLASS Global Final」の審査員を務めてきた人物であり、今回はこのチャレンジの審査のためだけに招聘された。その上野氏に対し、長尾は敬意を込めて語りかけた。

あなたに向けて、このオールドファッションドをつくります。

準備してきた言葉をそのまま再現するのではなく、目の前の相手に向けた一杯として、その場で表現を組み替える。海外での経験や日々の接客を通して長尾が培ってきた、柔軟な対応力が垣間見える場面だった。

「正直に言うと、ホワイトレディは上野さんの代名詞であるクラシックカクテルなので、それを審査してもらう勇気がなかったんです(笑)」

このチャレンジに向けた準備も容易なものではなかった。レシピは完璧でも2種類のカクテルを同時につくると到底5分では間に合わない。プレゼンテーションをしながらでは、動作と言葉が収まらないのだ。しかも、当日にならなければどのカクテルが当たるのかもわからない。長尾は、5種類すべての説明を書き起こし、本番直前まで言葉と動作を徹底的に頭に叩き込んだ。

「普通につくるだけなら間に合うんです。でも、話しながらだと全然間に合わない。もう5種類分のプレゼンテーションを残り1日で丸暗記するしかありませんでした」

高い評価を得た一方で、このチャレンジでは部門優勝を惜しくも逃した。それでも、そこで気持ちを切らさず、長尾は残されたチャレンジへと切り替えた。

チャレンジ③ SHAKE UP THE WORLD CHALLENGE

翌日、舞台は多くのオーディエンスが見守る六本木ヒルズアリーナへ移った。この日最初に行われたのが「SHAKE UP THE WORLD CHALLENGE」だ。自身が感銘を受けた飲料業界の女性に敬意を表し、プレミアムテキーラ「ドン・フリオ 1942」をベースに、その女性のストーリーや魅力を一杯のカクテルで表現するという課題だった。

審査員を務めたのは、3人の女性。ひとりは、日本における「DIAGEO WORLD CLASS」初代チャンピオンの鎌田真理氏。ふたり目は、昨年、同大会で日本大会史上最年少でチャンピオンとなった岸田茉利奈氏。そして、テキーラを中心にメキシコの酒とバー文化の魅力を日本に長年にわたって伝えてきた目時裕美氏だった。長尾にとって3人は、それぞれ異なる形で日本のバー文化を切り拓いてきた存在だ。誰を選んだのか。出した答えは、3人全員のカクテルをつくることだった。

まずは、ザ・ペニンシュラ東京「Peterバー」でミクソロジー&バーマネージャーを務める鎌田氏への一杯。彼女自身が企画・構成を手がけ、国際的に活躍する女性バーテンダーをゲストに迎えるイベントを、2023年から継続して展開している。長尾は、鎌田氏への一杯を次のようにプレゼンした。「鎌田さんのサービスは愛に溢れ、気品があります。そして『月下美人』というイベントを通し、人が自分らしく咲ける場所を作ってきました。人が輝く美しさを、ライチとジャスミンで表現します。名前は『Elegance(エレガンス)』です。こちらは鎌田さんのためのカクテルです。どうぞ」

「Elegance」と名付けたカクテルでは、ライチと花の香りが、ベースとなる「ドン・フリオ 1942」のアガベ香を華やかに広げる。

そして、「Gold Bar at EDITION」の岸田氏へのプレゼンはこうだ。「コーヒーからキャリアを始め、バーテンダーとなり、このワールドクラスで史上最年少優勝を果たしました。その挑戦と情熱を、パッションフルーツとコーヒーで表現しました。名前は『Passion(パッション)』です。どうぞ」

パッションフルーツの酸と香りが、「ドン・フリオ 1942」のバニラ香を明るく立ち上げ、コーヒーがオークとキャラメルの余韻にローストの奥行きを与える。

最後は、目時氏。彼女の功績を長尾はこうプレゼンした。「ショットのイメージが強かったテキーラを、本やイベントを通してラグジュアリー文化として広げてこられました。知識を共有し、日本のバー文化を一歩進めました。知識を意味するハーブ。セージと白ぶどうで、祝福とラグジュアリーを表現します。名前は『Luxury(ラグジュアリー)』。シャンパンのようなカクテルです。どうぞ」

しかし、これだけで終わらない。

それぞれの審査員に差し出した3種のカクテルを、別のひとつのピッチャーに注ぎ、そこへ「ドン・フリオ 1942」を加えることで、さらに新たなカクテル『Radiant 1942(レイディアント1942)』を作り上げた。それは3人それぞれの功績をひとつに繋ぎ、讃えた一杯だった。完成したカクテルを改めて3人へサーブし、こう話した。

「3人の輝きは、それぞれ違います。人を咲かせる光。情熱で道を切り開く光。知識で業界を照らす光。僕は、世界を動かすということは、誰かの心を震わせ、その心に光を灯すことだと考えました。先ほど、『僕の心に光を灯してくれた3人にカクテルをつくります』とお伝えしました。そして、3つの光が重なった時、ひとつの大きな輝きが生まれます。その輝きを表現したのが、このカクテルです」

長尾の発想力と、プレゼンテーションを組み立てる構成力が際立ったチャレンジだった。そして、このチャレンジでも部門優勝を果たした。

チャレンジ④ ON TOP OF THE WORLD CHALLENGE

最後に行われたのは、「ON TOP OF THE WORLD CHALLENGE」。その名の通り、世界の頂点に立つにふさわしい一杯をステージ上で創作する。審査員は、実際に「DIAGEO WORLD CLASS」の頂点に立った3人の世界チャンピオンだった。審査員からは「世界一になる素質があるかどうかを見ます」と告げられた。

「タンカレー ナンバーテン」をベースにしたこのチャレンジでは、何がなんでも部門優勝を手にしたい。その強い思いは、この日のために新調したグリーンのジャケットにも込められていた。長尾にとって、「タンカレー ナンバーテン」は特別な一本だ。その背景には、バーテンダーとしての歩みに大きな影響を与えた清崎氏の存在があった。

清崎氏は2015年、「DIAGEO WORLD CLASS」日本大会のファイナリストのひとりだった。プレミアムジンである「タンカレー ナンバーテン」の特長に自身の長所を掛け合わせた「シグネチャー カクテル チャレンジ」部門で優勝している。長尾にとってこの大会は、自分の力を試す場所であると同時に、憧れ続けてきた人の背中を追う場所でもあった。

「キヨさんが立った舞台に自分も立ちたかった。同じタンカレーのチャレンジで結果を出したいという思いがずっとありました」

長尾がつくったのは、あえて端正なマティーニだった。ただし、アルコール度数は一般的なマティーニの半分ほど。白ワインとほぼ同じ15~16度に抑え、時間をかけて誰もがゆっくり楽しめる味わいを目指した。

「マティーニは誰もが知っています。でも、初めて飲んで美味しいと思う人はそれほど多くないんじゃないかって。だから、お酒に強くない人にも楽しんでもらえるように、度数を抑え、温度が上がってもゆっくり飲めるものにしました」

一杯のマティーニには、長尾自身がバーテンダーとして歩んできた10年の軌跡が込められていた。

まず、タンカレー ナンバーテンのカモミールを思わせるフローラルな香りに重ねたのが、ハチミツを40℃の低温で減圧蒸留した蒸留水だ。ハチミツから抽出した花の香りが、タンカレー ナンバーテンとのマリアージュを担う。

一方、タンカレー ナンバーテンの核となるオレンジ、グレープフルーツ、ライムという3つのシトラスには、長尾が親しんできた故郷から現代までの香りの記憶を重ねた。四国を象徴する柚子と、海外での挑戦の地・ベトナムを表すレモングラスを用いた自家製の低アルコールベルモットを合わせた。さらに、初めてバーテンダーとして正式に招かれた思い出の地・台湾を、現地の香辛料である馬告(マーガオ)を漬け込んだオレンジビターズで表現した。タンカレー ナンバーテンの個性と、自らが歩んできた土地やそこで得た経験。その二つを一杯の中でつなぎ合わせたマティーニだった。

「これは、僕のストーリーを詰め込んだマティーニなんです」

仕上げには、ミキシンググラスの外側からドライアイスで急速に冷やしながらステアする独自の方法を用いた。

このチャレンジでは、制限時間5分より30秒早く完成させるごとに5点のタイムボーナスが加算されるルールが設けられていた。長尾が掲げた目標は、3分を切ること。プレゼンテーションを進めながらも、無駄のない正確な動作でカクテルを仕上げ、狙い通り3分以内でフィニッシュ。タイムボーナスによる大幅なポイント加算につなげた。

実はこのチャレンジの直前、長尾は思わぬアクシデントに見舞われていた。

当初は準備時間を使い、世界の頂点に立った3人の審査員それぞれに、グラスの内側へザクロとカルダモンで作った粘性のあるシロップを使い、サインを描いてもらう予定だった。このチャレンジでは、味わいだけでなくエンターテインメント性も重要な審査項目だった。サインの演出の狙いは、審査員にもカクテルの完成に参加してもらうため。最後のひと手間を審査員に委ねることで、その人のためだけの一杯と、「一緒につくった」という記憶を残す。カクテルは飲む人とのコミュニケーションによって完成する。そんな長尾の考えを形にした演出だった。

ところが進行に変更があり、その場に審査員の姿はない。そこで急遽、長尾自身が3人のイニシャルを描くことにした。しかし、さらに想定外の出来事が起こる。

キンキンに冷えたマティーニを提供することにこだわり、あらかじめ冷蔵庫で冷やしていたグラスに結露が生じ、せっかく描いたイニシャルが滲んでしまったのだ。もはや文字とは認識できず、ただの模様のようになってしまった。

「あぁ、もうどうしようって思いましたね。でも、これでやるしかないんだって。後で、あのグラスの模様は初めから意図したものだったのかって聞かれたので、はい、って答えましたけど(笑)」

想定した通りにはいかなかったが、動きを止めることなくプレゼンテーションと冷えたマティーニを完成させた。この最終チャレンジでも、長尾の名前が部門優勝者として呼ばれた。

テーマを読み解く力。磨き上げてきた技術と、その場で答えを導き出す対応力。人の物語を一杯へと変える発想力と構成力。そして最後に、自らの10年間を注ぎ込んだマティーニ。4つのチャレンジで問われたものは、それぞれ異なっていた。そのすべてに、長尾が6年間の挑戦と日々の仕事の中で培ってきた力が表れていた。結果は、4つのチャレンジのうち3つで部門優勝。最後と決めて臨んだ大会で、三冠を達成した。

6年間勝てなかった理由を誰よりも考え続けてきたからこそ、勝つために何が必要なのかを知っていたのだ。大会後、ある審査員からこんな言葉をかけられたという。

「あなたには、6年分のストックがある。だから、世界大会は期待している」

うれしかった。勝てなかった6年間は、遠回りではなかった。考え、試し、失敗し、身につけてきたもののすべてが、いま、世界へ挑む長尾の確かな力になっている。

第四章 世界を目指した理由

父親になって10日後、長尾は日本一のバーテンダーになった。だが、この夏に世界から届いた知らせは、それだけではなかった。

2026年7月28日、マカオでアジアの優れたバーをランキング形式で発表する「Asia’s 50 Best Bars 2026」が開催された。アジア各地のバー業界関係者やドリンクライターら300人以上が、実際に訪れたバーでの体験をもとに投票する。誰が投票権を持っているかは明かされない。

評価されるのはカクテルだけではなく、サービス、空間、チームを含め、店で得られる体験のすべて。ランクインした店には世界各地から客がどっと押し寄せる。それほどの影響力を持つアワードだ。

「Bar LIBRE」は、2025年に第49位、今年は第39位に選出された。開店と同時に客が入り、待ちが出るほど客足と売上が大きく伸びた。それにより、スタッフの意識も変わっていった。

「DIAGEO WORLD CLASS」は、長尾個人が勝ち取った日本代表の座だった。「Asia’s 50 Best Bars」は、Bar LIBREというチームが積み重ねてきた仕事への評価だった。個人とチーム、その二つの歩みが同じ夏に一つの結果を得た。

「自分が大会で勝ったことももちろんうれしいです。でも、店のみんなで積み重ねてきたものが評価されることは、また違ったうれしさがあります。Bar LIBREという名前が世界に発信されることで、スタッフにも新しい機会が生まれると思っています」

2026年になって突然、道が開けたわけではない。長尾が海の向こうへ目を向けたのは、まだバーへ足を踏み入れたこともなかった23歳の頃だ。

当時は故郷の香川で、居酒屋とカフェの仕事を掛け持ちしていた。バーへ行った経験さえほとんどなかったという。

転機になったのは、YouTubeで偶然目にした一本の動画だった。画面の中にいたのは、2010年に「DIAGEO WORLD CLASS Global Final」へ台湾代表として出場し、その後、Drinks Labの共同創業メンバーとして2018年に「Draft Land」を立ち上げたバーテンダー、Angus Zou(アンガス・ゾウ)氏。英語で堂々とプレゼンテーションをしながら、カクテルをつくる姿に心を奪われた。長尾にとって、バーテンダーという職業と世界に表現する姿を初めて結びつけた人物だった。

「格好いいなと思いました。カクテルをつくる技術だけではなく、自分の考えを自分の言葉で伝えている。その姿を見て、バーテンダーになりたいと思ったんです」

動画を見た翌週、長尾は2万円を握りしめ、東京へ向かった。銀座や赤坂のバーを一晩で4軒巡った。初めて目にする世界だった。静かな店内、丁寧に磨かれたグラス、バーテンダーの無駄のない所作、カウンター越しに交わされる会話。居酒屋ともカフェとも異なる時間が流れていた。香川へ戻ると、すぐさまバーテンダーになる道を探し始めた。そこで出会ったのが8席ほどのこぢんまりとした会員制バー「Bar HEEL」だった。

そこで約4年間バーテンダーとしての基礎を学んだ。毎週金曜日には休みを利用してウイスキーバー「Bar シャムロック」で修業を重ね、日曜日の昼にはカフェでも働いた。休みらしい休みはほとんどなかった。

「とにかく、早く追いつきたかったんです。23歳から始めたので、周りより遅いという感覚がありました。できるだけ多くカウンターに立って経験を積みたいと思っていました」

やがて、県外で自分を試したいという思いが強くなっていく。

「ある時、大変お世話になっていた東京の先輩バーテンダーの方から、後輩がベトナムでバーを開きたいと言っているので一度会ってみたらって、声をかけてくれたんです。それで、詳しい話を聞きに東京へ行きました」

それが、運命の出会いだった。

2017年、長尾は都内にあるホテルのカフェにいた。すると、向こうから茶色い髪に、紺のストライプが入ったスーツ姿の男性が、肩で風を切って向かってきた。この人物こそが清崎雄二郎氏だった。

実は、ちょうどこの頃、長尾はさまざまなコンペティションに出場していたこともあり、シンガポールや上海、ハワイなどのバーからオファーを受けていた。実際、現地へ視察にも行った。だから、ベトナムでバーを開くという清崎氏に興味を持ったのだ。

しかし、今でこそお洒落なバーが次々と誕生しているベトナムだが、その当時、日本人が現地にバーを開くという話は皆無だった。しかもリゾート地として人気が出始めた頃の田舎、ダナンだ。

「誰もやっていないところでやりたいんだよねって、キヨさんが言ったんですよ。この人面白いなって(笑)。誰もやっていない場所で挑戦できるなら、自分も楽しいだろうなって思えたんです」

すでに完成した店で働くのではない。海外で一から店をつくる。英語も十分には話せない。何が起きるのかも分からない。それでも、その不確かさが魅力的に映った。「Bar LIBRE」に入社して1カ月。Bar LIBRE Da Nangの立ち上げのため、長尾は単身ベトナムへ飛び立った。

ダナンで待っていたのは、想像とかけ離れた生活だった。工事を任せていた業者が時間通りに来ないのはまだしも、挙げ句の果てに来なくなった。長尾は、高校で建築を専攻していたことから図面は引ける。木材を切り、運び、コンクリートを混ぜる。そして自分たちの手でカウンターをつくった。完成したばかりのカウンターで最初につくったのは8杯のジントニックだった。

「チームみんなで乾杯しました。苦労した分、最高に美味しかったです」

停電が起き、冷凍庫の氷がすべて溶けた夜もあった。キャンドルを灯し、海を眺めながら、冷えていないワインを飲んだ。日本にいれば、停電は営業を止める理由になるかもしれない。しかし、現地の仲間たちはその状況さえ楽しんでいた。

日本にいた頃は、予定どおりに進まないとストレスを感じていた。ここベトナムでは、起きてしまったことを嘆いても仕方がない。今ある状況をどう楽しむかを考える。その感覚は自分の価値観を大きく変えたと話す。

もうひとつの問題は英語。今でこそ、海外からくる客と会話をし、大会では英語でプレゼンテーションするなど不自由はない。

「ベトナムへ発つ前、キヨさんからは『英語もやれよ』って言われて。そんな余裕全然なかったですけどね(笑)」

それでも、ベトナム人スタッフとの会話、街での買い出し、工事の打ち合わせ、店での接客で少しずつ英語が理解できるようになってきた。毎日、建物のオーナーと30分間話す時間もつくった。伝えなければ仕事が進まない環境の中で、必要な言葉をひとつずつ身につけていった。

現地で行われたカクテルコンペティションにも挑戦した。街を挙げた大会だった。ふたりワンペアで戦うというユニークなスタイルの大会で、長尾がカクテルを考え、パートナーが英語でプレゼンテーションを担当した。市場を歩いて材料を探し、現地のグラスや文化を取り入れた。その結果、ふたりは優勝を果たした。

一人で何でもできなければならない。これまでそう思ってきたが、互いの得意なことを持ち寄り、足りない部分を補い合えば、言葉や国籍の違いを越えてひとつのものをつくることができる。それが実感できた大会だった。

「ベトナムで学んだのは、カクテルの技術以上に、人とのつながりだったと思います。自分一人ではできないことでも、仲間がいれば形にできる。その経験は、今の仕事にもずっと残っています」

2019年の帰国後も、長尾は海外との接点を持ち続けた。台湾、香港、フィリピン、ニューヨーク。ゲストシフトやイベントを通じて、各地のバーテンダーと出会い、交流を重ねた。海外へ行くたびに、日本のバー文化の価値にも気づかされた。

2026年、ニューヨークに新たなバーが誕生した。日本の文化のひとつ「おまかせ」にインスパイアされたというその名も「COCKTAIL OMAKASE(カクテル おまかせ)」だ。客はカクテルのオーダーをバーテンダーにおまかせする。「Bar LIBRE」は、この店のカクテルレシピやジャパニーズサービスの監修を担当した。

長尾は、店のオープニングに合わせ清崎氏と共にニューヨークへ向かった。出発前、かねてから考えていた案を清崎氏に提案した。

「フレッシュフルーツを使ったカクテルも出しませんか」

生の果物をその場でカットし、カクテルの素材にすることは日本のバーでは当たり前の光景だ。

長尾の店でもさまざまなフレッシュフルーツカクテルをオンメニューしている。しかし、それが海外では当たり前ではない。同じイチゴでも物によって甘味や酸味は異なる。その果物の状態に合わせ、副材料で酸味と甘味のバランスを調整し、カクテルを一定の味わいに整えるのだ。日本のバーテンダーは、それらを修業の中で習得していく。それは日本独自のカクテル文化なのだという。海外ではフレッシュフルーツのカクテルはめずらしく、客を惹きつけるのでは、と長尾は考えたのだ。

「海外へ行くと、日本のバーテンダーが普段当たり前にやっていることの価値に、あらためて気づかされます。自分たちにとっては普通のことでも、世界から見れば特別なことがある。そうした日本のバーテンダーの良さを、きちんと伝えていきたいと思うようになりました」

客の目の前で果物を選び、その状態や好みに応じて一杯を組み立てる。初日は約20人だった来客が、最終日には2時間半待ちの列をなすまでになった。

長尾を次に待っている大きな舞台は、2026年10月にスコットランドで開催される「DIAGEO WORLD CLASS Global Final」だ。日本代表として、世界各国のチャンピオンと競う。その舞台で長尾が見せたいのは、まさに日本のバーテンダーが日々の仕事の中で磨いてきた技術と感覚だという。

「日本のバーテンディングは、まだ十分に知られていない部分もあります。日本らしい細やかさやホスピタリティを、自分のカクテルを通して見せたいと思っています」

長尾が海外へ向かう理由は、名を知られるためだけではない。日本の外へ出ることで、自分の仕事を見つめ直す。異なる文化を知ることで、日本の良さにも気づく。そして、出会った人たちと新しいものをつくる。

23歳の時に観たYouTube動画の向こうに見えた世界は、憧れるだけの遠い存在ではなくなった。長尾は、自分自身の仕事を携えてその中へ入っていった。そして、その歩みを支えてきたのが、「Bar LIBRE」と清崎氏だった。

第五章 「Bar LIBRE」という文化

「Bar LIBRE」は2011年、東京・池袋にオープンした。「LIBRE」は、スペイン語で「自由」を意味する。クラシックカクテルの基本を大切にしながら、液体窒素や煙、香り、蒸留機器など、新しい技術や表現も積極的に取り入れる。伝統と革新。その間を自由に行き来しながら、一杯の可能性を広げてきた。その中心にいるのが、オーナーバーテンダーの清崎雄二郎氏だ。

清崎氏は、東京ドームホテルの「BAR 2000」の立ち上げに携わり、神楽坂「喜えん」のオープンから約10年にわたり店長を務めた。その後、池袋に「Bar LIBRE」を開いた。店舗運営だけでなく、バーのプロデュースや人材育成にも携わってきた。長尾にとっては、雇用主や上司という言葉だけでは説明できない存在だという。

「父であり、兄であり、人生の先輩であり。何とも言い表せない存在ですね。キヨさんは、まずは何でもやらせてくれる人なんです。普通なら止められるようなことでも、面白いと思ったらやってみろと言ってくれる。失敗しても、そこから何を学ぶかを見ている人だと思います」

「Bar LIBRE」に入って間もない長尾を、清崎氏はひとりベトナムへ送り出した。渡航までの約1カ月で店のレシピを覚えさせ、営業後も練習を重ねた。当時、長尾の英語はまだ十分とはいえない。それでも清崎氏は、現地で必要な言葉まで教え込むことはしなかった。自ら考え、必要なものを身につけながら前へ進む。その経験も含めて、長尾に託したのだ。

基本を身につけたうえで、まず挑戦する。そして、自ら考え、行動し、その結果に責任を持つ。自由とは、ただ好きなように振る舞うことではない。それこそが、「Bar LIBRE」が大切にする「自由」なのだ。

長尾が「DIAGEO WORLD CLASS」の舞台で見せた対応力も、こうした環境の中で育まれてきた。海外の現場で培った、与えられた状況を受け入れ、その中で最善の答えを導き出す姿勢は、日々の仕事にも根づいている。

かつての「Bar LIBRE」には、細かなマニュアルがほとんどなかった。先輩の動きを見て学び、分からないことは自分から聞く。小さなチームだからこそ成立していた。

店には、深夜2時を過ぎても客がいることはよくあった。当時、入社したばかりの長尾は、ごく自然にラストオーダーを取りにいった。それを見た清崎氏と他のスタッフがこう話していたという。「あいつ、ラストオーダー取りにいってるよ」。

「当然ラストオーダーってあるものだと思っちゃったんですよね。知らなくて(笑)」

それまで店ではラストオーダーという概念がなかった。客が帰った時間が閉店時間だった。だから平然と最後の一杯を聞きに行く長尾の姿に、それもありだと清崎氏は考えた。今では深夜12時ラストオーダー、25時閉店と基準ができた。その後、店舗も増え、関わる人が増えるにつれて、自由を守るためのさまざまな基準が必要になった。

2025年4月、清崎氏を理事長に「Bar Industry Academy」が開校した。「Bar LIBRE」の現役バーテンダーが講師を務め、日本語、英語、中国語で技術と知識を教えるバーテンダーの学校だ。教えるだけではなく、就職や独立までも支援する。長尾も講師として関わり、教わる側から人を育てる側へと立場が変わった。

「技術だけを教える場所にはしたくないと思っています。なぜその動作をするのか、なぜその材料を使うのか。自分で考えて、言葉にできるバーテンダーを育てたいんです」

長尾が「DIAGEO WORLD CLASS」への挑戦で身につけた考え方と重なった。

第六章 次の舞台へ

大会をライブ配信で見守っていた妻のもとに、結果発表を前にした長尾から「もう逃げたい。結果は後日、手紙で通知してほしい」と弱音を吐くメッセージが届いていた。それほどまでに、6年間追い続けてきた日本一の結果を待つ時間は怖かったのだろう。

そんな長尾に妻は、「大丈夫! 今回は絶対に優勝するから」とメッセージを送った。その言葉通り日本一を手にした長尾は、表彰式を終えると妻に電話で報告した。

「優勝すると思ってたよ、日本一のパパおめでとうって。次は世界一を目指して一緒に頑張ろうね!って言ってくれました」

その言葉を受けた長尾が妻に伝えたのは、喜びより先に、謝罪と感謝だった。大会への挑戦と出産が重なるなか、負担をかけてきたことへの「ごめん」と、支え続けてくれたことへの「ありがとう」。優勝した安堵とともに、さまざまな感情が込み上げた。

そしてその夜、長尾は家へ帰り、父親としていつもの時間を過ごした。生まれたばかりの赤ん坊に、午前3時と6時のミルクをあげるためだ。

「大会が終わったからといって、家では何も変わらないんです。帰ったらミルクをあげる。それが自分の役割なので」

第一子の誕生で、眠る時間も練習に使える時間も限られた。それでも、子どもの誕生は挑戦を妨げるものではなく、かえって最後までやり切る理由につながった。

「お前が生まれた年にお父さんは勝ったんだよって、どうしても伝えたかったんです」

父親になったことで、仕事に対する考え方にも変化が生まれた。バーテンダーという仕事は、自分が好きだから続けるだけではなく、家族の生活を支えなければならない。時間の使い方や働き方、収入についても以前よりシビアに考えるようになった。

バーテンダーは、夜にカウンターへ立つことだけが仕事ではない。店舗運営、人材育成、海外でのイベント、商品や道具の開発、バーのプロデュース。経験を生かせる領域は広い。

「毎晩カウンターに立つという働き方だけだと、家族との時間をつくるのが難しくなるかもしれません。なので、バーテンダーとして培ってきたものを、別の形でも生かしたいと考えるようになりました」

長尾は今、しっかりとした未来への構想を持っている。自身がこれまで享受してきた多くの経験を、別の場所、新しく出会う人へつなごうと考えている。

「いつか故郷に戻って奥さんと一緒に小さなブティックホテルをつくりたいんです。客室は十数室に抑えて、地元の食材や果物を使って、地域の生産者や作り手と共にその土地でしか得られない時間をつくろうと考えています。もちろんバーも置きます」

「Bar LIBRE」で学んだ「自由と責任」、そして6年間にわたって打ち込んだ「DIAGEO WORLD CLASS」の経験。そのすべてをいつか香川へ持ち帰る。

目標の一つは、四国初の「Asia’s 50 Best Bars」に選ばれるバーをつくることだという。東京や大阪だけでなく、地方にも多くの客が訪れるバーをつくり、地域の食や文化、ものづくりを伝えたいと考えている。その根底にあるのは、バーテンダーという仕事の社会的地位をさらに高めたいという思いだ。

「水商売という受け取り方がまだまだ根強く残っています。地方では特に。そこを何とか変えたい。仕事はバーテンダーです、と胸を張って言える職業にしたい。結婚する時に相手のご両親にも安心してもらいたいですし、子どもが父親や母親の仕事を誇りに思える、そんな職業にしていきたいんです」

6年間追い続けた日本一の先に、世界がある。そして、そのさらに先には故郷・香川がある。長尾が歩む道は、まだその先へと続いていく。